宮城県石巻市で、津波の激しさを象徴する建造物の1つが解体された。

 水産加工会社「木の屋石巻水産」の工場にあった魚油タンクで、2011年3月11日の津波で、石巻漁港の背後地にある工場から約500メートル押し流され、道路の真ん中にある緑地帯で横倒しになっていた。

石巻の被災地のシンボルだった木の屋石巻水産のタンク=2012年2月(撮影:高成田惠、以下同)

 被災地を訪れる人々からは、テレビのニュース映像などで数多く流れたものだっただけに、「これがあのタンクか」といった感想が聞かれていたが、地元では、「震災の象徴として残して」という声と、「震災を思い起こさせるので撤去して」という声と二分していた。

 企業側は、津波を語るモニュメントとして残そうと思っていたが、タンクには企業名が入っていたことなどから「売名行為」といった非難もあり、道路から撤去することを決めた。

 木の屋石巻水産の木村隆之副社長は、「タンクを元の場所に移して展示することも考えたが、撤去費用が約2000万円と見込まれ、工場の再建に懸命になっているところで、とても移転費用まで出せない」ということで、自費で解体することにした。ただ、解体した鋼材を使ってモニュメントになるものを残すことを検討しているという。

炎に包まれた小学校の校舎

 石巻で言えば、広大な住宅地が津波で流された南浜・門脇地区に残った石巻市立門脇小学校の校舎も撤去され、小学校が再建される予定だという。

焼けただれた門脇小学校の旧校舎=2012年7月

 このあたりは、津波で流されたガスボンベや車が衝撃で燃えだしたため、火災が広がり、門脇小学校も延焼した。今も建物は黒く焼けただれ、広島の原爆ドームを思い起こす人も多い。昨年末のNHK紅白歌合戦で、長渕剛が「ひとつ」を絶唱したのも、この校庭だった。

 この建物も残すべきだという意見がある一方、現在、別の場所に移って授業をしている小学校を再建するには、元の場所しかないという意見も強かったという。