6月25日、米国連邦最高裁はアリゾナ州の不法移民規制法の一部を違憲とし、無効とする判断を下した。厳しく規制を進めようとする州政府に待ったをかけ、不法移民問題は連邦政府の方に優先権があることが示される形となった。

米国民の約4割がエリス島に上陸した移民の子孫

マンハッタンからエリス島とリバティ島を望む

 しかし、「州政府が解決するには大きすぎる話」「いや、単一の移民政策で押し通すには米国は土地も人口も大きすぎる」といった意見の対立は根強く、今後も議論は繰り返されることになりそうだ。

 今、米国への移民を象徴する風景と言ったら、こうしたヒスパニック系の人々が押し寄せるアリゾナやテキサスとメキシコとの国境になるだろう。

 しかし、歴史的に移民の大きな波を受け止めてきたところと言えば、ニューヨーク、ハドソン河口近くにあるエリス島。現在、米国民の約4割が、この小島の移民管理局を経て米国へやって来た者かその子孫だという。

 そんな話を聞いて思い出すのが『ゴッドファーザーPART II』(1974)。20世紀初頭、自由の女神像を仰ぎ見る移民船に乗ったイタリア系移民たちが、そのすぐ近くにあるエリス島へと降り立っていく。

 その中の1人が、シチリアからやって来たヴィトー・コルレオーネ少年。これから米国で一旗揚げることになるこの壮大なる大河ドラマの主人公である。

 ちょうどこの頃から増え始めたイタリア系移民は20世紀初めの20年間だけで300万人を数えた。

 すでに米国に根づいていた英国やドイツ、スウェーデンといった欧州北部の「旧移民」に代わり、ロシア、ポーランドなどとともに南欧・東欧からやって来た「新移民」と呼ばれる存在が移民の中心となっていったのである。

 祖国では貧困層に属していた彼らの中には大志を抱いてこの地を踏んだ者も少なくなかったはずだが、その現実は、単なる安価な労働力。遅れてやって来た新移民に、割りの良い仕事などあるはずもなかった。

 それどころか、南欧・東欧は欧州北部に比べ知性も文化も劣るとのいわれなき軽蔑までされ、「識字力のない移民の制限」という南欧・東欧系移民をあからさまにターゲットとした規制法が、グローバー・クリーブランド、ウッドロウ・ウィルソン大統領などに何度も却下されながらも、1917年、成立してしまったのである。