60代以上の中国人は、ときどき毛沢東の時代について「あの時代はみんな貧しかったが、幹部の腐敗も少なかった」と懐かしく思う。インターネットを見ていると、毛沢東の時代を称賛する者は意外に少なくない。これらの毛沢東ファンは中国で「五毛」と呼ばれている。毛沢東の時代は、幹部の腐敗が確かに少なかった。

 振り返れば、あの時代、毎年のようにたくさんの政治運動が展開された。毛沢東は政敵を倒すために、幹部の密告を奨励した。その結果、幹部に対するモニタリングができた。どんな幹部も、自分がいつ周りの同僚などに密告され打倒されるか分からない。そうした中では、腐敗行為などに走る勇気は持てない。

 一方、「改革開放」政策以降、経済の自由化が進み、共産党幹部の権限は日増しに拡大していった。経済成長とともに拡大するパイを分配するのは共産党幹部である。しかし、共産党幹部に対する監督とモニタリングが機能しない。これこそが、現在の幹部腐敗の土壌である。

地位を脅かされることがない共産党幹部

 共産党が腐敗をなくすために取る常套手段は、反腐敗キャンペーンを展開することだ。清廉潔白の共産党員を模範として称賛し国民に知らしめ、反面、腐敗幹部を反面教師として摘発し、共産党内部で学習活動を展開する。さらには共産党機関紙を利用し、大々的に宣伝工作を行う。こうした反腐敗キャンペーンを展開する狙いは、国民に対して共産党の先進性をPRするためである。

 毛沢東の時代には政治運動や権力闘争が頻繁に行われていたため、共産党幹部は自分がいつ打倒されるか分からず、収賄など腐敗行為に走る勇気を持てなかった。しかし「改革開放」以降、反腐敗キャンペーンは頻繁に行われているものの、毛沢東時代のような政治運動はほとんど行われなくなった。自分の地位を脅かされる心配は少ない。その結果、共産党幹部は徐々に大胆になり、腐敗行為も日増しに酷くなっていった。

 おそらく共産党の中枢では、幹部の腐敗を見て見ぬふりをしているわけではないだろう。幹部の腐敗が横行すればするほど、共産党が国民に支持されなくなる恐れがある。現に、共産党への求心力は毛沢東の時代に比べて大きく低下している。

 では、なぜ反腐敗キャンペーンが展開されても、共産党幹部の腐敗が後を絶たないのだろうか。