MRIC by 医療ガバナンス学会 発行

 2011年3月21日、いわき市小名浜ときわ苑の利用者120名と職員60名を鴨川に受け入れた日、田中康夫氏の紹介で、桜井勝延南相馬市長から「20キロから30キロ圏に170名の要介護者が取り残されている。なんとかしてもらえないか」と電話で要請されました。

南相馬市との接触

 この話を、安房医療ネットという医療・介護の勉強会グループにつなぎました。このグループは、すでに、被災した要介護者の受入れ準備を始めていました。リーダーは亀田総合病院の小野沢滋医師と花の谷クリニックの伊藤真美医師です。

 安房医療ネットは、迅速に受け入れ態勢を整え、迎えにいくためのバスまで用意しました。その後、水道が使えるようになったことから、避難希望人数が減少し、要介護者の18名とその家族の約50名だけになりました。

 結局、福島県が準備をすすめていた栃木県の日光市に全員避難しました。これが私と南相馬市との最初の接触でした。

 次の接触は2011年9月23日。被災地視察の途中、亀田総合病院の亀田信介院長と共に、南相馬市を訪問しました。

 南相馬市立総合病院で、桜井市長、南相馬市立総合病院の金澤幸夫院長、及川友好副院長と3時間にわたり意見交換。南相馬市立総合病院への支援を要請されました。この場で、金澤院長は、二次救急を充実させたいと述べられました。

 南相馬市の小高区は、原発20km圏内の警戒区域に指定され、すべての病院・診療所は閉鎖されました。市の中心部の原町区は、30km圏内の屋内避難区域(後の緊急時避難準備区域)に指定され、入院診療がストップしました。

 南相馬市では、震災前に8病院、38診療所が稼動していましたが、2病院、13診療所が閉鎖されました。緊急時避難準備区域の5病院では常勤医師の57%、常勤看護師の55%、その他の職員の42%が離職しました。

 南相馬市立総合病院は震災前12名いた常勤医が一時期4名まで減少しました。8月段階で7名に回復しました。8月段階で、看護師は震災前の130名が、87名に、リハビリ職員は、12名が4名に減少していました。