前回、那須与一の「扇の的」から話を始めました。「扇の的」と言うと、射るべきターゲットが明確です。ここから振り返って、私たちの日常生活で、身の回りのこと、きちんとターゲットが絞れているか?と考えると、なかなかそうではないことが少なくない、と気づかされ、また反省させられることが多い気がするのです。

オリエンテーション・ガイダンスの「的」

 春4月、企業も学校も新年度を迎え、新人や新入生が新しい環境に入ってきます。こういうとき、誰しも期待と不安があるものです。いま、学校のケースで考えてみましょう。

 新入生向けに「ガイダンス」とか「オリエンテーション」があります。右も左も分からない新しい環境で、授業の登録履修、あるいはサークル活動など含め、様々な案内があります。

 いま、かつて新入生だった頃を思い出して、そこで自分が「的の絞れた形で履修案内を理解できた」なんて方が居られたら、相当に凄い人で、僕は率直に尊敬せずにはいられません。

 僕など、小学校入学は何のことだか分からず、中学入学はただ嬉しかっただけ、高校はそのまま持ち上がりで、浪人だなんだを経て入った大学も、家を出て一人暮らしを始めることで頭がいっぱいでした。

 そんな中で、本当に自分が「履修登録」などに「的が絞れた」という意識があるものが1つだけあります。

 それは、失敗経験を経てもう一度一から始めてみよう、と30過ぎになって籍を置いた2度目の博士課程、社会人大学生として再スタートを切ったときでした。今回は少し、自分のケースを振り返ってみたいと思います。

甘えがあったから的が絞れなかった

 思えば実に恥ずかしい話なのですが、小学校から大学まで、自分が授業のガイダンスや学生オリエンテーションに十分「的」が絞れなったのは、親がかりで学校に通っていて、あらゆるものが受け身だったからだと、少なくとも僕のケースでは、思わざるを得ません。

 2度目の大学院博士課程は、音楽家として社会生活を営む中で体を壊し、仕事のできない時期を無駄にしてはいけないと、いろいろな覚悟を持って自分自身の蓄えを使い、非常に意識的に「3年間で博士号を取るぞ」と決意して進みました。

 だからほとんど無駄なく、履修ガイダンスもオリエンテーションも、ポイントが絞れて理解することができました。と同時に、こんなこと、最初から求めても無理だとも思いました。