日本では古来「もののあはれ」という感覚がありますよね。そこから喚起させられる「情」、痛みの感覚と、ロシアのノスタルジーの感覚は非常によく似ていると思います。諸行無常的な世界観というか、そこに深い共通性があるのを感じます。

──なぜロシアの音楽家たちは、ノスタルジックな感覚を持っているのでしょうか。

亀山 何百年もの長い間、ロシアの民衆は圧政に苦しんできましたが、作曲家というのはエリートであり、支配者の側にいる。支配者が喜ぶための音楽を書いているんですね。

 でも、その足元には凄まじい数の農奴の人々と大地が存在しています。自分自身が足をつけていながらも帰れない世界が足元にあるわけです。音楽家には、そこと切れたらおしまいだという感覚があるんですね。大地と切れたら自分は存在しないんだ、と。

──大地とつながった世界へ帰りたくても帰れない感覚がノスタルジーなんですね。

亀山 さらには、大地とともに暮らし、名もなく滅んでいったロシアの人々に対する追悼の思いがロシア音楽にはありますね。だからロシア音楽のノスタルジーというのは「レクイエム」とも重なってくる。ノスタルジーが故郷へ帰れない痛みだとすれば、レクイエムは、もはや生を一緒にすることができない人々への痛みの思いだということです。これがロシアの音楽の基本だろうと思います。

チャイコフスキーは人工的な天才

──チャイコフスキーはその典型と言えますか。

『チャイコフスキーがなぜか好き』を著した亀山郁夫(かめやま・いくお)氏。『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』『悪霊』などドストエフスキー作品の翻訳でもお馴染。

亀山 ロシアの作曲家の中で、チャイコフスキーというのは異端でしょうね。

 中途半端な言葉では表せないくらいの、ものすごい才能にあふれた作曲家であったことは間違いありません。チャイコフスキーのすごいところは、作曲する際にインスピレーションが突然降ってくるというようなタイプではないんですよね。インスピレーションを自分で作るんです。

 音楽の神様からインスピレーションが降ってくるのではなく、自分の中に神がいる。彼自身が世界をクリエイトし、自分の創造力や自我を拡張していくことに最高の喜びを見出していた。すると、足元の大地なんて見えなくなってしまうんですね。自分がすごい世界を作っているわけだから。