北米報知 2012年2月22日

 生涯教育プログラム「日系ホライゾンで1984年から水引を教える清水春子さんは、現在96歳。「日本と米国を行ったり来たり」しながら、「いつも水引の紐をポケットに忍ばせて、暇さえあれば色んな結び方を研究していました」と微笑む。

 「心と心で和の心を持って仕上げるのが本当の水引という。「相手がどうしたら喜ぶかを考えながら作るのが楽しいし、大切なこと。よく母も『手形は残るけど足型は残らんよ』と言っていたけれど、本当に心を込めて手で作ったものは残るのよね」

 1916年ピュアラップ出身。6歳で広島に渡り、女学校で水引に出会った。35年に日本で結婚、カリフォルニアに移住するが、第二次世界大戦中は強制収容所での生活を余儀なくされる。戦後、日本に戻るが、子どもの教育のため再び帰国した。

技術の粋を尽くした作品の数々

 水引は従来、結婚式や正月、葬式などと幅広い機会に用いられてきた。しかし近年の日本では、婚礼形式や結婚観の変化、海外からの安い水引の輸入により、水引工芸が衰退している。

 それでも「生徒さんが水引に興味を持ってくれることが嬉しい」と清水さんは語る。生徒数は6、7名で多いときは10名ほど。長年クラスで学んできた生徒3名に後進としての師範免状も送った。

 「金儲け」という言葉は念頭になく、日系ホライゾンでも報酬は受け取らず、授業料はすべてナーシングホーム「シアトル敬老」への寄付に使われている。

 日系ホライゾンで教える以前から、全米各地の大学や婦人会、教会などから招待を受けて講習を行った際も、「『お礼を受け取って下さらないと困ります』と言われたので頂いた数ドル以外は、全て無償で行ってきた。

 チャリティー・オークションに寄付した純金と純銀で結んだある作品は、1000ドルで落札されたという。

被災地へ寄贈する千羽鶴と清水春子さん

 「日本で手相を見てもらった時、『必要な金は使うけど、お金に困らない』と言われました。今までも誰かのために真心をもってしたことが、結局巡り巡って返ってくることもありました」と微笑む。

 「大変心が痛んだ」という東日本大震災のあと、生徒と水引で千羽鶴を作った。

 「亡くなられた方が奉納されているお寺に飾っていただけたら。少しでも被災者の方の癒しになれば嬉しい」と話す。

 清水さんの千羽鶴は以前にも、夫が入院した地元病院や、広島と長崎、同時多発テロを受けたニューヨークに贈られた。被災地への千羽鶴も復興の様子をうかがいながら、落ち着きはじめた頃に寄贈を考えている。

 清水さんは英語の水引の入門書「Mizuhiki: Kogei Nyumon, A step-by-step guide to Japanese Paper Cord Weaving」も出版。オンラインで購入が可能だ。

 水引を通じて、清水さんの優しい気持ちが世界に届くことを願ってやまない。

(記事・写真 = 佐藤 睦子)

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