サブプライム問題が引き金になって世界経済が大混乱し始めました。100年に1回の大不況の到来だという声も聞こえてきます。でも、皆さんは割と平気でいるでしょう。程度の差はあっても今までの不況と同じさ、と思っているのではないでしょうか。

 しかし、私には違う光景が見えています。今回の危機は、日本の近代においては明治維新、第2次世界大戦の敗戦と並ぶ3つ目の大きなエポックだと思います。近代日本を襲った第3の波と呼んでいいでしょう。

預金封鎖も非現実的ではなくなった

五木寛之氏/前田せいめい撮影

五木寛之(いつき・ひろゆき)氏
1932年福岡県生まれ。吉川英治文学賞を受賞した『青春の門』は総発行部数が2200万部を超える。1978年から直木賞の選考委員となり30年間選考に当たっている。2006年には作家生活40周年を迎えた(撮影:前田せいめい、以下同じ)

 この第3の波が、私には大きな規制強化の波に見えます。これまでの規制緩和の流れの反動として、規制緩和それ自体がいけないような風潮が出てきました。人間の欲望を実現するために様々な規制を緩和したために、こんな状況を引き起こした。だから、人間の欲望は制御しなければならないと。

 一度そういう流れができるとどうなるでしょうか。個人の経済活動や個人情報までいちいち管理される社会に向かって進み始めます。私たちの世代だと、すぐ思い出すのが預金封鎖です。戦後生まれの人は新円切り替えや預金封鎖を経験していないので、その衝撃は身に染みていないでしょうが、国はある時、すごいことをするのです。

 まさか、国が庶民のお金を封鎖して取り上げるなど考えられないと若い人は思うかもしれません。しかし、戦争直後の1946年に新円切り替えで旧円は使えなくなり、預金封鎖も実際にあった話です。自分のお金だと思っていたものが、突然なくなってしまうのです。

 それは戦争直後の特別な時期だからと高をくくっているのは間違いです。米国ではテロから国家を守るという大義名分の下に盗聴が大手を振って行われるようになったではありませんか。やろうと思ったら国にできないことは何もないのです。

 しかも、規制強化の動きは国だけでなく大衆がそれを望んでいるという側面があります。国民の反対を押し切って導入するのは難しくても、国民が望んでいれば簡単です。

 最も分かりやすい例は犯罪でしょう。世の中が世知辛くなって犯罪が増えてくると、「警察はもっと取り締まりを強化しろ」という声が自然と高くなってきます。交番を増やしたり警察官を増やして見回りをしっかりさせろとなってくる。

 そして、街のいたるところに監視カメラが設置されるようになる。実際、日本でも監視カメラの設置場所がどんどん増えている。技術の進歩によって遠くのカメラでも解像度を上げて個人がはっきり特定できるようになっています。

ニューディール政策の裏で進んだ金の売買禁止

 国民がそれを望んでいるんだったら、それではやりましょう、ということで規制が強化されていく。本当は権力者がやりたいことなのに、あたかも国民のためにやっているように持っていくのです。大衆の心理を突いた、非常にうまいやり方です。

 犯罪がテロの規模になればもっとやりやすい。自分たちの国を救うためと言われて反対はできませんからね。今の米国がよい例ではありませんか。個人の自由はものすごく制限されるようになってしまいました。

 日本でも古い話ですが1940年に発足した大政翼賛会が象徴的な例でしょう。国民が自ら求めて、軍部の方針を容認していった歴史が現実にあったわけです。

 そうした意味で言うと、今回の世界を襲っている金融危機から始まった大不況は、一方で2001年9月11日の同時多発テロ後に起きているという点で重要です。テロによる規制強化と金融危機による規制強化がそれこそ同時多発的に起き始めたわけです。

 最近、若い女性が南アフリカ共和国が発行しているクルーガーランド金貨を貯めるのが流行っているそうです。ブームに乗っているだけならいいのでしょうが、ドルや円が頼りないから安全な金で持っておけば安心というなら、考え違いだと思います。

 今回の金融危機を1929年の大恐慌になぞらえる人が多いと思います。当時、何が起きたのかを思い起こしてみてください。米国のフランクリン・ルーズベルト大統領は、ニューディール政策を実施して需要を創出し、恐慌を脱出させたと言われてます。エンパイアステートビルもちょうど大恐慌時代に建てられました。