西暦2012年2月24日午前11時過ぎ、私のワープロが壊れた。

 デビュー作「生活の設計」の原型となった習作を書くためにワープロを購入したのは、今から15~16年前のことだった。以来、私の創作の全ては「NEC 文豪 JX A200」によって支えられてきた。その愛機を失い、私は深い悲しみの中にいる。

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 私は1965年2月生まれで、北海道大学に進学したのは1983年4月だった。当時はまだワープロさえなく、寮自治会のビラや議案書はガリ版(謄写版)印刷によっていた。

 ガリ版印刷を知らない若い読者のために説明すれば、それは鉄筆で文字を書いたロウ原紙を印刷台にセットして、インクをつけたローラーでこすり、1枚ずつ紙に印刷していくという純然たる手作業である。

 ガリ版とは、ロウ原紙に鉄筆で文字を書く際に用られる下敷きのことで、細かな目の刻まれたヤスリの凹凸を利用してロウ原紙に疵(きず)を付けていく。文字の読みやすさはもちろん大切だが、鉄筆の使い方にむらがあると印刷をしているうちにロウ原紙が破れてしまう。そのため、上手な人たちは均一な筆致で「ガリを切る」ことに執念を燃やしたので、「名人」が書いたロウ原紙を、「名人」のローラー使いが刷ると、1枚のロウ原紙で400~500枚はゆうに印刷をすることができた。

 これは1983年頃の北海道大学の学生たちの実力であって、年配の方々の中には我々を上回る数多の「名人」たちがいたはずである。

 私の義父、つまり妻の父は昭和7年生まれで、小中学校で校長を務めていたが、家に自分専用の鉄筆とガリ版と印刷台を持っており、年賀状はガリ版による多色刷りで作っていた。実に見事な腕前で、私は古の浮世絵の技がガリ版を通して発揮されているようにさえ思ったものである。

 ちなみに、ガリ版印刷機は発明王、トーマス=エジソンが1890年頃に作り出したものだということを、私はつい先ほどウィキペディアによって知った。

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 例によって脱線してしまったが、さらに印刷機がらみの話を続けると、ワープロが普及し始めたのは1986~87年頃だったように思う。最初はデスクトップ式のみで、ディスプレイはブラウン管型テレビと同じ形状だった。