中国4000年より深い「そば」の歴史9000年

旬到来!日本そばの進化は続く(前篇)

2011.11.18(Fri) 漆原 次郎
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かつて、そばは麺ではなかった

 今、「そば」といえば、だれもが色の少しついた長細い麺の食べものを思い浮かべる。だが、少なくとも16世紀頃までは「そば」に麺としての形を見出すことはできない。そばの歴史の中で、そばは長いこと麺ではなかったのだ。

そば。麺状にしない「そばがき」に対して、切って麺状にしたものは「そば切り」とも呼ばれる。

 そば屋に入ると、そば粉を湯でこねて餅状にした「そばがき」や「そばもち」を食べることができる。このそば粉を練った食べ物こそ、そばの長い歴史の中では「そば」であり続けたのである。

 ということは、今やどこでも見られる麺の形をしたそばは“発明品”ということになる。麺状のそばには、包丁で切って作ることから「そば切り」という呼び方も付いているくらいだ。現代人の観点からしてそばがそばらしくなったのは、つまり、そば切りが誕生したのはいつ頃のことだろうか。

 江戸中期の俳人だった森川許六(1656~1715)による1706年刊の俳文集『風俗文選』では、「そば切り」の発祥地が次のように伝えられている。

 「蕎麦切といっぱ、もと信濃国本山宿より出て、普く国々にもてはやされける」

 本山宿は中山道の宿場の1つで、今の長野県塩尻市内にある。1706年の時点では、すでに「普く国々に」広がっていたようだ。では「そば切り」の誕生はいつ頃、誰によってなされたのか。

 実はその起源は今も謎のままであり、どこまでさかのぼって「そば切り」の記述を見つけられるかは現代でも争点となっているのだ。

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1975年生まれ。神奈川県出身。出版社で8年にわたり理工書の編集をしたあと、フリーランス記者に。科学誌や経済誌などに、医学・医療分野を含む科学技術関連の記事を寄稿。日本科学技術ジャーナリスト会議理事。著書に『日産 驚異の会議』(東洋経済新報社)、『原発と次世代エネルギーの未来がわかる本』(洋泉社)、『模倣品対策の新時代』(発明協会)など。


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