新聞記事検索ツールである日経テレコン21を用いて、「デフレ」という言葉を含んでいる新聞記事数の推移を、主要全国紙(日経・朝日・毎日・読売・産経)について調べてみた。

 レギュラーガソリン小売価格が1リットル=180円を超える高騰を演じた2008年夏には、「デフレ」記事の数は50件前後にまで減少していた。その後、原油などの資源価格バブルが崩壊し、インフレ説は虚構であることが明らかになるとともに、「デフレ」記事数は水準を切り上げた。そして、政府がデフレ宣言を行った昨年11月の「デフレ」記事数は420に急増。12月はさらに増えて831となり、今年1月も578という、近年ではかなり高い水準を維持している。

 ただし、遡って比較してみると、デフレ脱却(名目2%成長)を公約しながら経済政策が展開された小泉純一郎内閣の時代(2001年4月~2006年9月)、特にその前半(2001~2003年)には、月間の「デフレ」記事数が1000件を超えたことが何度もあった。それに比べると、鳩山由紀夫内閣の下での「デフレ」報道は、数の面ではまだ及ばない。

 2001~2003年というのは、デフレ脱却に向けて政府から共同歩調を求められながら、日銀が量的緩和を強化していった時期と重なり合っている。日銀が量的緩和を導入したのは、小泉内閣の登場よりも少し前、2001年3月19日。その後、当座預金残高目標は2001年8月から段階的に引き上げられていき、2004年1月20日には「30~35兆円程度」に達した。量的緩和が解除されたのは2006年3月9日で、この前後にも「デフレ」記事数の増加が見られた。

 一方、鳩山内閣は、金融緩和によるデフレ脱却を模索する場面が目立った小泉内閣とは異なり、日銀の独立性を尊重しつつ、具体的な政策運営は日銀に委ねる姿勢が鮮明である。菅直人副総理・財務・経済財政相は、追加緩和に期待を寄せていないわけではないことに言及しつつも、昨年12月の新型オペ導入について高く評価しているようである。政府と日銀の間に緊張状態がないとすると、そのことは「デフレ」記事数が増えにくい方向で作用する。