カンクンの沖、ボートで20分のところにイスラムヘーレスという島がある。イスラムヘーレスとは「女の島」という意味だが、スペインの征服軍が大陸を窺った時、多くのマヤの女神像を発見したことが、その名前の由来といわれる。

 夏のある日。ジンベイザメウォッチングというシュノーケリングツアーに参加した。参加者は白人4人と私。太った船長と、痩せて口ひげをはやしたベテランガイドがツアーをエスコートしてくれる。朝6時に港へ着くと、白いフィッシャーマンズボートが桟橋の横に浮かんでいた。まだ朝焼けの雲は黄色がかり、砂浜に打ち寄せる水は軽やかに透明で、陽光の射した遠浅の海は白光が瞬くように乱反射している。

「次はお前が行け!」という合図で海に飛び込んだ

メキシコのイスラムヘーレス。
今、ここ!

 沖に進むと海面の色はどんよりとした鈍色に変わった。ここはジンベイザメの潜むポイントのようで、巨大なジンベイザメが20匹くらいひしめき合って揺らめいていた。プランクトンを豊富に含み、透明度がほとんどない海面を、サメの大きな背びれと尾ひれがゆらゆらとうねりながらゆっくりと漂っている。

 痩せたひげのガイドが船尾のステップから勢いよく海面に飛び込むと、太った船長は辺りを見回して私を指さし、「次はお前が行け!」と合図をした。ジンベイザメ以外にも鮫がいるのではないかと少し不安を感じながら飛び込むと、水中は視界が3メートルくらいしかなく遠くが見えない。

 ガイドに追いついたので水面に顔を上げた時、滑らかな黒い巨体がゆっくりとこちらに近づいてきた。水中に潜った私の横をジンベイザメが通り過ぎた。鮫の周りには無数の魚と1メートルくらいの青い鮫が取り巻いていたので、ぎょっとして水面に顔を上げた。ガイドはお構いなしといったように、右に左に上に下にと鮫を追いかける。

鮫の背びれに触れて思い知った己の無力さ

 2ラウンド目、少し勝手が分かり、私は鮫の前方辺りに意識して先回りし、浮かびながら近づいて来るのを待つことにした。しばらくすると、10メートルほど先に50センチはあるような黒光りした背びれをピンと立てて、巨大頭部が現れた。プランクトンを吸って流し込むように楕円の大きな口をいっぱいに開けて、ゆっくりと近づいてくる。20メートル前後の巨体が水中をゆっくりと迫り来る様は、ほんのわずかな時間だが、恐怖と興奮からか感覚器官が冴えわたり、時が凝縮されたような感じがする。