『金色のゆりかご』では、高校3年生の女子生徒・須藤まりあが「望まない妊娠」をする。

 彼女の両親は、パイロットである父親の浮気が原因で離婚しており、母親は離婚後にフライトアテンダントに復帰して働いている。

 まりあは同窓会で再会した中学時代の担任教師に家庭の悩みを伝え、その後デートを重ねるうちに肉体関係を持つ。彼女は一度きりで終わるつもりでいたが、相手は許さない。脅迫と暴力によって性交を強要されるようになり、ようやく関係を断った後に、まりあは自分が妊娠していることに気づく。

 相手である元担任教師にも、母親にも、友人たちにも相談できないまま、まりあは腹部をサラシで押さえつけて学校に通う。いつか訪れるはずの破局(=死)を待つうち、ある日の帰り道に腹部の痛みに耐えかねて、まりあは意識を失う。

 「まりあ」という象徴的な名前を与えたことからも分かるように、作者である私は彼女をなんとかして救いたいと願いながら、『金色のゆかりご』を書き続けた。

 しかし、まりあの側にも、「望まない妊娠」を招くだけの隙があったのは事実である。

 「母体保護法」では、強姦(=レイプ)を受けて妊娠した女性の人工妊娠中絶を認めている。ところが、レイプに対してさえも、被害女性の警戒心の不足をあげつらう風潮が日本社会の一部には確実に存在する。

 最近は、結婚後どころか、デート中に暴力を振るう男性が増えている。その一方で男性に暴力を振るう女性も増加しているが、それでも被害に遭う男女の比率は1:2で女性の方が多いことは明記しておくべきだろう。

 アルコール中毒やギャンブルへの依存も男性の方が多く、妻が離婚を決断する要因になっているが、そうした場合にも女性の見る目のなさを指摘する声はあとを断たない。

 確かに誰と交際し、性交をし、結婚するのかは、究極の「自己責任」である。

 ここで「恋は盲目」などと言うと笑われそうだが、どれほど冷静に相手の人物を見極めたつもりでも、恋愛にも、結婚にも、それこそ清水の舞台から飛び降りるような決断が必要なのは、経験者なら誰でも知っていることである。

 つまり「賭け」の要素が絡んでくるわけで、現在円満な夫婦生活を送っている人でも、もしかするとあの時に間違った選択をしていたかもしれないと、ひやりとすることがあるのではないだろうか。