米国のオバマ大統領がイタリア・サミットを前に、ロシアを訪問した。

 オバマ大統領とメドベージェフ大統領の会談では、大規模な軍縮の合意、アフガニスタンにある米軍への物質供給のためにロシア空域利用を許可、イランと北朝鮮の核の脅威についての突っ込んだ協議などの成果があった。決して大きな成果とは言えないが、「仲直り」への第一歩とはなったに違いない。

 オバマ大統領はハードな日程の中でロシアの野党勢力にも会い、ロシアにおける人権の問題も話し合った。その中には、ロシアのあるグループの人たちが期待していたのにもかかわらず、話題にならなかった問題がある。

 その問題とは何か。言論の自由が縮小していることや、政党政治が行われていないことなどではない。同性愛者の権利の問題である。

ロシアの民主主義発展にとっての試練

 同性愛の権利を唱えるグループの人たちは、駐ロアメリカ大使館に集まり、同性愛者の人権擁護に消極的なオバマ大統領に向かって、「全米で同性愛者の結婚を認めよ」「Yes You Can!」などと訴えようと思っていた。だが、許可は下りなかった。

 同性愛者をどう扱うかは、これから民主主義を発展させようというロシアにとって頭を悩ませる問題である。民主主義の先進国も、一般的に同性愛者の結婚許可には消極的だ。米国にしても50州のうち6州しか同性愛者の結婚を法的に認めていない(そのうち3州は2010年1月までに認められる予定)。

 はたしてロシアが、結婚を認めるとまではいかなくても、同性愛者の社会的な権利を認められるのか。同性愛自体は「違法」でもなく「病気」でもないと認められるのか。これは、ロシアの民主主義発展にとって大きな試練であると言える。

長らく大罪とされてきた同性愛

 だが、同性愛を容認するかどうかは、単に政治的な判断で行うことはできない。ほかの国と同様、国の文化や宗教の問題と複雑に絡み合っているからだ。

 キリスト教の国であるロシアでは、同性愛は長らく「大罪」として扱われてきた。歴史をたどってみると、同性愛を排除してきたのは「文化・宗教的な」理由よりも、社会的な要素がもっと大きかった。

 18世紀以前、ロシアの法制(11世紀の「ロシアの司法」)には同性愛(基本的には男性の間の「男色」のこと)についての明確な記述はない。

 1706年、ピョートル1世が定めた軍法規で、ドイツに倣って、初めて同性愛者に対する処罰が明記される。処罰は、今の米国みたいに軍人だけが対処となっていた。

 その規定が刑法に組み込まれ、一般的になったのは1832年だった。同性愛者はシベリアへ最大5年間、追放されるという罰があった。1903年の法律改革の時には、この処罰を軽くする動きがあったが、革命運動の激化のために実行されなかった。