明日(6月4日)は20年前に中国で「天安門事件」が起きた日である。民主化を要求する学生運動が、政府の武力によって鎮圧された事件だ。

 中国では、20年前のこの事件を口にする市民は少ない。だが、決して風化しているわけではない。これまでの20年間、同事件の再評価を求める動きは絶えず続いている。

 一方、中国社会はこの20年で大きく変貌した。まず、経済が大きく発展し、国民生活レベルも大幅に向上した。1人当たりGDPは、2008年には3000ドルの大台に乗った。

 また、言論の自由も、依然として不本意な部分が多いとはいえ、徐々に改善されている。特に、天安門事件の際に反政府運動に参加した知識人や元学生の多くが、外国から帰国することが認められている。

 とはいえ、中国政府が最も恐れているのは社会の不安定化である。「和諧社会」(調和の取れた社会)作りを提唱している胡錦濤政権にとって、天安門事件の20周年は、波風を立てずに過ごしたいはずである。

歴史に直面する勇気こそ民主化への第一歩

 20年前になぜ天安門事件が起きたのかを簡単に結論づけることはできない。そもそも、20年前の事件を現在の価値観で評価しようとするのは非常に困難である。

 大学生が天安門に集結した直接的なきっかけは、1985年以降の物価の高騰と幹部の腐敗に対する不満の増幅だった。今から考えればその背景にあったのは、社会主義陣営の経済運営が行き詰まり、冷戦が終結に向かった歴史的な流れに他ならない。

 大学生を中心とする若者の要求は決して間違ったものではなかった。そのため、当時の中国政府の中でも、若者に同情する改革派と、武力鎮圧を堅持する強硬派に分かれた。対話路線と強硬路線の間で行き来する政府の曖昧な姿勢は、結果的に情勢を急速に悪化させた。民主化を求める学生運動は徐々に過激なものとなり、最終的に「鄧小平打倒」に大きく方向転換してしまった。

 当時の中国では、暴動に対応する武装警察が整備されていなかったため、人民解放軍が投入され、暴動が一気にハードランディングした。結果的に多数の若者が犠牲となり、鎮圧に当たった若い兵士も多く殺された。

 これまでの20年間、知識人の間で天安門事件の再評価を求める動きがずっと続いている。だが、政府としては自らの非を認める心の準備ができていないこともあり、「事件の評価は後世に委ねる」という姿勢を崩していない。